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各国のヘリテージカーを見に2024 オートモビルカウンシルへ行ってきた。 (後編)

オートモービルカウンシル
Yuu

前回に続いて後編になる。

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各国のヘリテージカーを見に2024 オートモビルカウンシルへ行ってきた。 (前編)
各国のヘリテージカーを見に2024 オートモビルカウンシルへ行ってきた。 (前編)

今回の幕張メッセの9・10ホールで行われたオートモビルカウンシルは4月14(日)、開催中の来場者は過去最高の39,807人だったそうだ。

私は少し値は張ったが、特別内覧日の12日(金)に行ったので来場者はそこまで多く無かった。モーターショーのような身動きが取れないレベルまで人混みに飲まれる事はないので、ゆっくり見たい方は特別内覧日に行く事をオススメする。

では、前編に続いて後編の車を紹介していく。

Chevrolet Corvette C2 Stingray

コルベット C2 スティングレイ オートモービルカウンシル
Corvette C2 Stingray

多くの人の中でコルベットとは?と、思い浮かべるとコルベットC2 スティングレイの姿が見えてくると思う。

そんな私もこのC2スティングレイがコルベット中で最も好きな1台となる。

Corvette C1

先代のC1と比較しても全く似ても似つかないデザインとなっていて、C1の剥き出しのヘッドライト違い後方に隠れているのが特徴である。点灯の際はユニットが回転しヘッドライトが現れる仕組みになっている。

(動画~20秒付近からヘッドライトが回転している)

名車と呼ばれるC2スティングレイは1963年から1967年の間の僅か4年しか生産されていなかったので希少価値は他のコルベットよりも遥かに高く、特に1963年~1964年までのたった1年しか生産されなかったスプリットウィンドウタイプの前期型は更に希少性が高いという。

C2 スティングレイと深く関わっていたのが、ゾーラ・アンクス=ダントフである。

ちょうど28年前の4月に86歳で亡くなっており、その時のニューヨーク・タイムズ紙に

と評されている。

1953年のGM Motoramaで150馬力程度しかないコルベットを初めて見て、コルベットに可能性を見出し、勤めていて会社を辞職しGMのエンジニアとして働き始めた。

ゾーラはコルベットに強力な出力を持つエンジンを搭載する事を上層部へ報告し、高性能スポーツカーを生産する計画を立てた。

それから1955年には195PS、1956年に240PS、1957年には283PSへとエンジンの出力を上げていった。

ゾーラによってC2スティングレイはC1の直6からV8エンジンへと変更され、シャシーの開発も携わっていた。

以下コルベットC2 スティングレイの諸元表となる。

全長×全幅×全高4,554×1,768×1,265mm
車両重量1,370kg
エンジン型式不明
最高出力253PS
最大トルク474N・m
エンジン種類5.4L V8
総排気量5340cc
トランスミッション4速 MT/2速 AT

C2 スティングレイが誕生する前にゾーラは「XP‐87 スティングレイ・レーサー」というレース用のコンセプトカーを手掛けていた。

このコンセプトカーが起源となり、ロードカーとしてC2スティングレイのデザインに落とし込まれ、コルベット歴史の中でも初めて風洞テストが行われたのもC2スティングレイである。

左右に鋭く尖り盛り上がったフロントとリアフェンダー、

フロントからリアまで続くボディライン、

サイドは戦闘機のコックピットのような形状であり、至る箇所に美点が加えられている。

一体型のリアウィンドウも魅力的だがスプリットウィンドウの方が好みである。

1963 年型C2スティングレイの最初のスケッチは、シェルビー コブラ デイトナ クーペの責任者であるピーター ブロックから提供されている。

そのアイデアは、伝説的なGMのスタイリング チーフのビル ミッチェルの指示の下、デザイナーのラリー・シノダによって海洋生物の「サメ」や「エイ」の特徴を反映させ現代においてもC2 スティングレイを目の前にした人々を魅了していた。

Ferrari Testarossa

フェラーリ テスタロッサ オートモービルカウンシル
Ferrari Testarossa

1984年の10月のパリモーターショーで512BBの後継車としてフェラーリ テスタロッサが誕生した。512 BBよりも大幅に大きく長くなったボディはピニンファリーナによって設計されており、また512BBや同世代のスーパーカーとは違いV12エンジンではなくフラット12を搭載しているのがテスタロッサの特徴である。

512BB

フェラーリ テスタロッサのユニークなTipo F113 Flat-12 エンジンは、フェラーリ F1 エンジンから開発された。このレーシングカー譲りのスーパーカーの心臓部は、最高出力380 PSと最大トルク480Nm を発生させる。

テスタロッサの0-100km/h加速はわずか5.2秒となった。約 290km/h という最高速度は当時としては驚異的で、当時の最も速い量産車の 1 つとしてのテスタロッサの地位を確固たるものにした。

そしてテスタロッサのエンジンルームには赤く塗装されたカムカバーが取り付けられているのは、

イタリア語で「赤毛」を意味するテスタロッサという名前が1957年のフェラーリ 250 テスタロッサ レーシングカーに敬意を表しているからである。

テスタロッサのデザインは当時ピニンファリーナに在籍していたレオナルド・フィオラヴァンティ率いるデザインチームが構成されていた。

レオナルド・フィオラヴァンディはフェラーリの数々傑作車を手掛けたがレクサスLFAのデザインを手掛けたのも有名な話である。

LEXUS LFA

以下フェラーリ テスタロッサの諸元表である。

全長×全幅×全高4,485×1,976×1,130mm
車両重量1,506kg
エンジン型式F113A
最高出力380PS
最大トルク480N・m
エンジン種類フラット12
総排気量4943cc
トランスミッション5速 MT

フェラーリ テスタロッサを目の前して感じるのが、この現実離れしているデザインはスーパーカーらしく過激でありながらも随所に美しさも備えているのがピニンファリーナがデザインしたのだとエンブレムが私に訴え掛けていた。

また512BBの1,830mmに対してテスタロッサの1,976mmという幅広のボディを補完するのは低いフロントノーズで、これは空気力学を改善する設計上の特徴であり、車がバターを切るナイフのように風を切ることを可能にしている。

テスタロッサの最も特徴的なデザイン要素の 1 つは、「チーズおろし金」としても知られるサイドストレーキである。

両ドアに沿って走っているサイドストレーキは単なる見た目にインパクトを与えるだけではなく、フラット12 気筒エンジンを冷却するために必要な大きな吸気口の役割をしてラジエーターを冷やす仕組みになっている。

特に私が気に入っているのがサイドストレーキ上部からリアフェンダーまで上昇していくボディラインが官能的で脳を刺激し、テスタロッサは憧れのスーパーカーであることを再確認した。

Mercedes-Benz 300SL Gullwing

メルセデスベンツ 300SL ガルウイング オートモービルカウンシル
Mercedes-Benz 300SL Gullwing

ガルウイングを備え持つ車で最も美しいのが300SL だろうと私は思っている。

誕生となったきっかけが、1930 年代からメルセデスに在籍していたチーフエンジニアのルドルフ・ウーレンハウトであった。

第二次世界大戦後、メルセデス・ベンツ車の開発に重要な役割を果たしていて、ウーレンハウトは管状のスペースフレームを300SLにアイディアとして採用している。

ウレーンハウトが考案した管状フレームは、さまざまな直径の薄壁の丸い管を使用しており、

これらを 3 つのグループに組み合わせると、ねじり剛性が非常に高く、しかも軽量の管状構造が生成され、エンジンと車体をサポートした。ウーレンハウトが 300 SL レーシング スポーツカー用に設計した管状フレームの重量は、僅か64 ~ 68 kg であり、これまでに使用されていたすべてのフレーム設計よりも軽量であった。

300SLの起源となったのがメルセデス・ベンツW194になる。ダイムラー・ベンツが1951年にレースへ参加表明したがW194に積まれたエンジンは他のライバルよりもパワーの低いキャブレーターが取り付けられていたという。

Mercedes-Benz W194

しかし、1952年の5つの偉大なレースで功績を残したW194にビジネスチャンスを見出し、W194をロードカーとして変化させたのが300SLである。

以下メルセデス・ベンツ 300SLの諸元表である

全長×全幅×全高4,520×1,790×1,300mm
車両重量1,500kg
エンジン型式M198
最高出力243PS
最大トルク294N・m
エンジン種類直列6気筒
総排気量2,996cc
トランスミッション4速 MT

1953年のシュトゥットガルトで開催された取締役会でマックス・ホフマンよって300SLの1,000台の生産が決定し、1954年の2月ニューヨーク国際自動車ショーで発表された。

そのガルウイング姿はセンセーションを巻き起こし1954年の8月からロードスターが誕生する1957年の間まで生産されていた。

つい見た目のインパクトが大きい為にガルウイングに視線を奪われるがちであるが、現代のスーパーカー以上にサイドシルが分厚い事に注目して欲しい。

300SLは構造上、通常のドアが取り付ける事が不可能だった。アームレスト付近にまで盛り上がったサイドシルは当時スカートやドレスを着ている女性をエスコートするのが非常に困難だったというエピソードもある。

300SLのデザインはCクラス同様にメルセデス・ベンツのロゴがフロントバンパー中央に配置され巨大なアイアンバンパーがバンパーを纏うように取り付けられ、フロントノーズは非常に長くフロント/リアフェンダーには愛好家達に「眉毛」と呼ばれる空力処理が施されサイドダクトも配置されている。

私は300SLのサイドデザインが好きであり、ロングノーズ/ショートデッキのスタイルとルーフからトランクリッドまでの曲線が非常に美しく惚れ惚れしてしまう。

車名300SLの300はベンツの排気量表記で3リッターを意味しており、SLは「Sport Leicht」(英語のSport Light)の略で軽量スポーツモデルである事を指しており現在もその価値を高めつつある。

Lamborghini Countach LP400S

ランボルギーニ カウンタック ガレージ伊太利屋 オートモービルカウンシル フルレストレーション
Lamborghini Countach LP400S

最後に紹介するのがランボルギーニ  カウンタックLP400Sとなる。

ホワイトカラー(ビアンコ)に塗装されたボディは艶やかで線傷が1つもないような状態であり展示されていた車両の中でも最も引き込まれた1台であった。

この極上のカウンタック LP400Sを展示していたのは1976年の創業の「ガレージ伊太利屋」という現在48年目の長い歴史があるイタリア車販売のパイオニアである。

主にイタリア車の販売・整備・修理・買取など全てのサービスを引き受けており、フィアット、アバルト、アルファロメオの正規ディーラーを勤めその他のイタリア車、アストンマーティンやベントレー 、ジャガーといったイギリス車、フランス車も取り扱っている。

お台場方面に行く時にアルファロメオやフェラーリなどの車両が展示されている店舗があるな、と思っていたが、どうやら私はガレージ伊太利屋の店舗の車両を眺めていたようだ。

そのガレージ伊太利屋からフルレストレーションされたランボルギーニ  カウンタックLP400Sは、1978 年 3 月のジュネーブ モーター ショーでカウンタックLP400S が発表された。

1975年から 1976 年にかけて VIP 顧客向けに生産された数台の LP400 Speciales からインスピレーションを得たカウンタックLP400S には、FRP製のホイールアーチエクステンションやフロント スポイラー、最新世代の薄型タイヤを装着した幅広の新しいホイールが装備された。

カウンタックLP400Sは車台番号で3つの異なるシリーズがあり、シリーズI、シリーズII、シリーズIIIと分けられている。

シリーズ3はVIN No.1121312~1121468の82台になり他のシリーズと比べサスペンションが変更されシリーズI、シリーズIIはローダウンされているがシリーズIIIに関しては車高が高くなっていることで識別が可能である。

以下 ランボルギーニ  LP400Sの諸元表である。

全長×全幅×全高4,140×2,000×1,351mm
車両重量1,500kg
エンジン型式M198
最高出力355PS
最大トルク360N・m
エンジン種類自然吸気V12
総排気量3,929cc
トランスミッション5速 MT

LP400Sはタイヤサイズが大幅に変更されている。

LP400では、


・フロント205/70 R14 MICHELIN XWX

・リヤ215/70R14 MICHELIN XWX

のタイヤが装着されているが、

LP400Sでは、


・フロント205/50 YR 15 PIRELLI CINTURATO P7

・リア345/35 ZR 15 PIRELLI CINTURATO P7

が取り付けられている。

初期のLP400 のXWX タイヤが装備されていたが後のカウンタック モデルにはピレリ タイヤが装着されている。

LP400の生産時にはP7 はまだ完全に開発されておらず、1974 年時点でランボルギーニ LP400 の卓越したパワーに耐えることができるタイヤは XWX のみだった。

ピレリ チントゥラートは 1974年にリリースされた。ピレリの P7は画期的なタイヤで、驚異的なレベルの方向安定性とグリップを提供した。これらの非常に薄型のタイヤにより、カウンタックのようなハイパワーな車にとって重要で、タイヤが変更された事によってより優れたブレーキの装備も可能になった。

LP400S シリーズ III は、オリジナルの純粋な LP400 デザインとその後の Anniversario モデルの間のギャップを埋めるため、特に重要なモデルとなり室内空間がわずかに広くなっている。

LP400Sのデザインは、その後のカウンタックの基盤となっておりV字型の大型リアウイングはカウンタックのアイコンとなり、

ホイールアーチエクステンション、フロントスポイラーは全てLP400Sから採用されている。

カウンタックを見るとその全高の低さに毎回驚かされるが、傾斜角が非常にに低いフロントウィンドウからボンネットまではほぼ一直線である。

リトラクタブルヘッドライトはフロントフェンダーに格納されているが、初めて見た時はクリアー部分のウィンカー部がヘッドライトライトだと勘違いしていた。

カウンタック LP400Sの「LP」とは「Longitudinale Posteriore(後方縦方向)」という意味を持ちミッドシップにV12エンジンを搭載している。

初期モデルのLP400にはミウラの 4 リッター エンジンが使用され、その後の改良を踏まえてSを加えた。

LP400の375PSと比べ350PSとなって出力が抑えられているが、馬力の僅かな低下は車のパフォーマンスにはほとんど影響しせずに、80 年代最速のスポーツカーの 1 つとしての地位を確立している。エンジンには性能を向上させるためにエンジンに豊富な混合気を供給する 6 つのキャブレターも備えているので車の前後重量配分が優れ、ハンドリング、安定性、加速時のトラクションが向上している。

1970年代に現れたスーパーカーブームの火付け役で先程紹介したテスタロッサとは両車ライバル関係にあったカウンタックは正に歴史に残る名車であり、1974~1990年までの16年間に計1,983台製造された。

その中でもLP400Sは237台しか製造されず、希少価値が非常に高いカウンタックを最高の状態で見れたことが何よりも至福の時間であった。

ランボルギーニ カウンタック ガレージ伊太利屋 オートモービルカウンシル フルレストレーション

前編、後編と続いて100枚近くの画像を編集したり記事を書いていたりとブログ更新が遅くなってしまった…まだまだ魅力的な車があったのだが紹介し切れないので今回も写真のみで紹介させていただく。

出典:FERRARI TESTAROSSA MONOSPECCHIO – Auto Storica – Classic Cars for Sale (auto-storica.com)

出典:One of 19 Ferrari 250 Testa Rossa Sports Cars Could Sell for Nearly $40 Million | Hemmings

出典:The 300SL Story — Precision Autoworks

出典:Mercedes-Benz 300 SL (1952), sulle ali della storia – Automobilismo

出典:Lamborghini Countach LP400S III | British & Sports Cars (british-sportscars.ae)

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Yuu
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整備士
現在29歳の男性。フォルクスワーゲンのプロショップでフロントスタッフをしています。 アストンマーティンDB9、マセラティ グラントゥーリズモを所有していました。 現在はメルセデスベンツ Cクラスに乗っています。 いかに安く維持するか日々節約との勝負でその奮闘記やちょっとした整備や雑談を紹介したいと思っています。
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