友人の結婚式に行ってきて、自分自身の結婚について考えた
自分にとって結婚とは
専門学校から知り合って、かれこれ8年近くも付き合いがある友人が
つい先日、結婚式を挙げた。
数少ない友人の1人なので、是非顔を出そうと思い今回結婚式に行ってきた。
友人は自分の1つ年下で現在も車関係仕事に就いている。
専門学生の頃は成績も良く、学校では優秀賞?をもらっていて今はメカニックではなくサービスフロントとして働いている。
自分とは違い、将来も見えいてかつ仕事も順調で非常に羨ましい…
場所は千葉県のベイサイドパーク迎賓館で挙式が上げられ、会場に着くなり多くの人が参列しているのに本当に驚いた。
ざっと70人近くも集まっていて、まさしく今回の新郎・新婦の人望を物語っており、沢山の人に大切にされているのだろうと感じた。
その反面、自分がもし挙式を上げるとしても新郎友人として10人集めるのが精一杯かもしれない…
中学、高校の友人との連絡はほとんど取る事がなくなりここ数年全く会っていない。
学生の頃は仲良く毎日の様に遊んでた友人や、高校頃までずっと仲良かった親友でさえ社会人になると連絡は途絶えてしまった。
更に高校卒業してからは、どっぷりK-POPにハマりそこでも知り合った何十人もいた。
その人達と一緒に韓国旅行や自宅に泊まらせていただいたり、数え切れないくらい呑んだりしていた人達でさえ、今となっては連絡はもうほぼ無い状態に。
人との出会いは沢山あったけど、自分を改めて見直すと今の自分には結婚式に招待出来る人は殆どいないという事に何だか少し悲しくなってしまった。
人との繋がりをここまで無下にしてしまったから、その罰であるには違いないが…
10:00から挙式が始まり、新婦の入場となった。新婦のウエディングドレス姿は綺麗以外の言葉は出て来なかった。
見ているだけでもう幸せそうだと感じとれて、これから温かい家庭を作っていくんだろうと勝手ながら想像していた。
続いて新郎の入場だったが、普段会っていた時とは全く雰囲気でタキシードでバッチリ決まっていた。
司祭が新約聖書を読み上げてお互いに結婚指輪をはめて次は誓いキスを。
この瞬間から2人はもう夫婦になったんだと、27歳ながら何か感慨深いものがあったし、年下が先に結婚するのは毎回何とも言えない気分になる。
挙式も無事終わり、次に披露宴が始まりお互いの出会いのいきさつや2人の写真がスクリーンによって流れてた。
2人とも写真写りが良く、ただただ羨ましいばかり…
自分は写真写りが悪いばかりか、顔もイケメンでは無く自分自身を撮ったり、撮られるのが非常に嫌い。
今までのスマホには自分が写っている写真が1枚もない程に。
以前ポートレートを良く撮ったりしていて、人の綺麗な部分を引き出せる写真を撮ることが好きだった。
それに対し、自撮りという自分で自分を撮る動作には妙な恥ずかしさが出てしまう。
自分自身かなり人目を気にするタイプで、車を撮ったり、買い物等で何か1人でしている時には常に他人の事が気になる。
(実際は自分には無関心だという事は分かっているのだが…)
以前インスタグラムで見た事があり、「共感性羞恥心」という一種の感情も自分に当てはまっている。
共感性羞恥心とは、他人が恥をかいたり、非難されたり、恥ずかしいことをしている光景を見た時に、あたかも自分が体験している様に感じてしまう心理。
ドッキリ番組や何か失敗しそうな場面を予想出来ると、誰かが恥をかくのが見たくない真心理が働いて自分は直ぐに目を逸らし番組を替えてしまう。
こういった感情だったり、人目が気になる事、自分に自信が持てない点を合わせると、
自分がもし結婚式で2人の思い出の写真を載せる状況になったら、正直大変だな~と感じた。
披露宴も終盤になって、ウエディングケーキを2人一緒に切り、大切な方からのスピーチもあったりと披露宴も無事終了した。
最後に新郎・新婦と一緒に写真を撮り帰路についた。
帰り途中に結婚はまだまだ自分に程遠いとまた思っていた。
他の人が子供と一緒にいるのを見ていると微笑ましいのだけれど、いざ自分となるとイメージが湧いてこない。そもそも彼女もいないので、この先独り身って事も充分ありえる…
自分的には30歳を超えた辺りで区切りとして結婚したいとは思うが、まだまだ車好きとしての野望があり、これは何としてでも実現したい。
そして2台目のアストンマーティンはいつになるのだろうか。。。