スーパーカーを見るならここに行くこと。サーキットの狼ミュージアム行くだけで車の知識が増えることは間違いなし!(後編)

スーパーカーブームの火付け役

前編、中編と記事を描いていたが後編までに約1ヶ月も間が空いてしまったが改めてオススメしたい博物館の1つなので展示されている魅力的なスーパーカーを紹介したい。


Ferrari 512BBi

512BBはエンツォ・フェラーリの考え方に革命をもたらし、今後のミッドシップフェラーリに新しい方向性を位置付けた。また512BBはボディデザインはピニンファリーナがハンドメイドで製造した最後のボディである。
512BBが誕生した70年代のイタリア車はランボルギーニ ミウラ、カウンタックや マセラティ ボーラ、カムシンといったスーパーカーが世に放たれていた。
より早いフェラーリを求めるには高速化と重量配分について考えるとミッドシップエンジンを採用することがフェラーリには必要だった。
しかし、エンツォ・フェラーリはミッドシップエンジンの採用に躊躇していた。

顧客に対する安全対策が問題になっていたが、ディーノの成功に説得され1973 年にフェラーリ デイトナと同じ 4.4L V12エンジンの心臓を持つフェラーリ初のミッドシップにV12エンジンを積んだ365GT4 BBが誕生した。

モデル名の末端のBBは「ベルリネッタ・ボクサー」として世に広まっているが、そのルーツはまた違うところにあるようだ。
60年代を代表するフランス女優であるブリジット・バルドーが”BB”と呼ばれていたのだが、その彼女に敬意を表してフェラーリ365 GT4 “BB”と名付けたそうだ。

しかしフェラーリの車に女性の名前が必要あるのかという問題が発生し、「ベルリネッタ・ボクサー」として公式発表したそうだ。
その“ボクサー”とは向かい合うシリンダーのピストンの動きをボクシングのパンチに似ていることから呼ばれているが、クランク位相が本来の水平対向エンジンとは違っている。

対置するピストンは反対方向の往復運動をするのに対し、365GT4 BBでは V型エンジンのピストンの動きをするので180°パンク V12エンジンと呼ばれてもいる。
当時ランボルギーニとの世界最速の公道車両の開発競争が激化していたが「排気ガス規制」が厳しくなりミッドシップエンジンに暗雲が立ち込めてきた。
その排気ガス規制に対してのフェラーリの答えが、365GT4 BBの4,400ccの排気量を600cc増やし5Lエンジンを積んだ512BBであった。

タイミングベルトで駆動され、初期モデルのBBは4つのウェーバー製キャブレーターで混合気を生成しエンジンへ送り混んでいた。
キャブレーター車である初期モデルは燃調が完璧に合ってないと扱い難い傾向があるそうだ。

その後の1981年には、それまでの6つのウェーバー製キャブレターの代わりにボッシュのk-ジェトロニック燃料噴射システムで エンジンに燃料を供給するBB 512iが導入されたがエンジンはキャブ車の360PSから340PSへとダウンした。

365GT4 BBと同様の構造であるが、エンジンの下にトランスミッションを設けてあり2層構造で5速MTが搭載されている。

僅か1007台しか製造されていない512BBiはフェラーリ創業40周年モデルのF40よりも希少で私はボンネットやエンジンフード下部がブラックで塗り分けられた512BBしか見たことが無かったので、全て同色でペイントされた512BBiは新鮮であった。
以下フェラーリ 512BBiの諸元表である。
全長×全幅×全高 | 4,400mm×1,830mm×1,120mm |
車両重量 | 1,515kg |
エンジン型式 | — |
最高出力 | 360PS |
最大トルク | 460N・m |
エンジン種類 | DOHC 5.0L V12エンジン |
総排気量 | 4,942cc |
トランスミッション | 5速MT |
Lamborghini Miura

最後を飾るのはランボルギーニ ミウラである。
ランボルギーニの中で最も美しく1966 年、ジュネーブモーターショーで初めて世界に公開された。

ミウラの流線型のボディは芸術品であるが、注目すべきなのがリアミッドシップに横置きで搭載されている V12エンジンだ。
ゴルフ8の車幅が1,790mmに対しミウラは1,780mmと小さく全長がやや長いがそのエンジンルームに巨大なV12がエンジンが収まっていることに横置き4気筒エンジンばかり整備している私にはV12エンジンが横置きという構造が良く理解が出来なかった。
ホワイトカラーにペイントされたミウラは息子さんもお気に入りの1台だそうで、私もマルチェロ・ガンディーニがデザインしたミウラに心の底から惚れた。

ランボルギーニが自動車ブランドとして立ち上げられのは今から半世紀前の事だが、ランボルギーニの創業者「フェルッチオ・ランボルギーニ 」がフェラーリ車のクラッチ品質が劣っていることにある日気づいたのがきっかけだった。

クラッチの不具合のために、フェラーリを修理するためにはマラネロまで出向く必要がありランボルギーニは少しずつ不満が溜まるようになってきた。
また自身が所有しているフェラーリ 250GTを改造して、ベースモデルよりも高性能に仕上げる事にも成功している。
そこでランボルギーニはエンツォ・フェラーリと会ってフェラーリの品質問題について議論した。
「イル・コマンダトーレ(イタリア共和国功労勲章の勲三等位の名称)」の愛称で呼ばれているエンツォ ・フェラーリに安価で粗悪な市販品を使用していることについて言及した。
自身が携わった車にクレームを言われ不機嫌になったエンツォは、
「車は私に作らせれば良い。あなたはトラクターの製造に専念してなさい」
とランボルギーニに返答した。
この一連のやり取りにランボルギーニが憤怒したことがきっかけで自身で「アウトモービル・ランボルギーニ」設立し独自の高性能グランドツーリングカーを製作することになったのはスーパーカー好きであれば誰もが知っている有名な話しだ。
その後、350GTV、350GTとGTカーを立て続けに生産し1966年にミウラが誕生した。

上記の512BBで取り上げたが、当時ミッドエンジンのロードカーというコンセプトは、エンツォ・フェラーリには受け入れられなかった。

エンツォは顧客がミッドエンジン車を安全に路上を走らせるのに必要な技術を持っているかどうか考えていた。
しかし、ランボルギーニ 若いチームは違っていた。
公道走行用のミッドマウントエンジンの開発に何の抵抗も感じずに設計し始めた。

ランボルギーニチームの若者が設計の先頭に立ちその中には、26歳で航空工学の学位を持つジャン・パオロ・ダラーラは8年前にはミウラでやり残した事を「ダラーラ・ストラダーレ」で2017年に具現化した。

ジャンパオロ・ダラーラの下で「ミウラ」の開発に関わったのが27歳のエンジニア、パオロ・スタンツァーニである。

2人はジオット・ビッザリーニが設計したV12 エンジンをドライバーのすぐ後ろに横向きに配置できる斬新なスチール タブシャーシを設計したがその後ダラーラがレースに参戦しないランボルギーニに痺れを切らし去ってしまった。
後任としてスタンツァーニが選ばれビッザリーニが設計したランボルギーニ初のエンジンを改良しミウラに搭載した。
V12エンジンをミッドシップに積めるシャシーが完成し2025年の現在に至るまでのミッドシップレイアウトのルーツとなったが、この素晴らしいシャシーを覆う魅力的なボディが必要であった。

ランボルギーニはボディデザインをヌッチオ・ベルトーネに依頼した。最初のスケッチはジョルジェット・ジウジアーロが担当したが、会社を去った後、25歳のマルチェロ・ガンディーニが完成させた。

私は現在30歳であるが、当時ミウラを手掛けたのは若き20代のデザイナー達である事に驚いたが、ミウラを担当したデザイナーの全員が今後歴史的に残る名車を数々生み出したのも感慨深かった。
その巨匠が生み出したミウラのボディは正に芸術品で滑らかで鋭く尖ったフロントデザインでノーズは低く、盛り上がったフロントフェンダーからリアに流れる流線美。


地上からルーフまでの距離が1,050mmとなり、今まで数多くのスーパーカーを見てきたが、あまりの低さに何度も驚かされる。

息子さんから教えていただいたのだが、ルーフパネルとフェンダーパネルの隙間が無い車両は過去に修復した経歴があるとのこと。
(この隙間を作るのが難しいらしい)

フィアット850 スパイダーから流用された円形ヘッドライトは、空気抵抗を減らすためにノーズと同じ高さに埋め込まれ、ミウラのアイコンでもある「まつげ」はフロントブレーキを冷却する為の通路となっているそうだ。

ボンネットの上にはボンネットベントがあり、後部に積まれたV12エンジンに空気を引き込ませる役割も持っている。
私がミウラで特に好きなデザインがドアである。

基本的に買えもしない超高級車に触れる事が出来る状況下でも、勧められでもしない限りは触れようとはしないのだが、優しい館長の息子さんが「ドアを開けてもらっても構わないよ」と言ってくれたので恐る恐るミウラのドアを開けさせてもらった。

そしたら、思った以上にドアが軽い事に気づいた。エアインテークにつながるサイドストレーキの最下部がドアハンドルとなっており、キーシリンダーを押すとドアロックが解除される。

このサイドストレーキに繋がるハンドルが正に男のロマンを感じる。
何というか学生の頃のように久しぶりに「興奮していた」気がする。
ドアガラスを下げて左右ドアを開いた状態になると正に闘牛のようなシルエットに見えてくる。

続いてボンネットとエンジンフードを開いていただいた。

フロントボンネットはワイヤー1本とボンネットロッド2本で支えてあり、


マグネシウムホイールやバッテリー、ラジエーターが前部に備わっていた。


展示されているミウラ P400Sは1965年の初期モデルのP400、P400S、 P400SVと中期モデルにあたる。


エンジンはバルブタイミングを改良し、高リフト カムシャフトの追加とウェーバー製40IDL-3L キャブレターを4基の取り付けたことにより、350 PSから370PSに性能が向上した。




キャブレーターに備え付けられている網付きのファンネルが格好良く、当時世界最速と言われたミウラは公表値では最高速度280km/hで0~100km/hは6.7秒で到達する。

最後にランボルギーニは闘牛にちなんだ車名をつける事で有名だが、
ランボルギーニは長年の友人でスペインのセビリアの闘牛の有名なブリーダーであるドン・エドゥアルド・ミウラから名前をもらい最初のスーパーカーに「ミウラ」と名付けることに決めていたという。

ドン・エドゥアルドは、友人のランボルギーニが家族と一族の貴重な闘牛の血統に敬意を表して車にミウラの名前を付けたことを知り、誇りにあふれたと伝えられている。
ミウラが誕生した時にはフェラーリからアストンマーティンまですべてが時代遅れに見えたという。ミウラはスーパーカーの概念を新たに再構築し全てのスーパーカーの基盤となった車とも言える。

以下ランボルギーニ ミウラ P400Sの諸元表となる。
全長×全幅×全高 | 4,390mm×1,780mm×1,055mm |
車両重量 | 1,180kg |
エンジン型式 | — |
最高出力 | 370PS |
最大トルク | 387N・m |
エンジン種類 | DOHC 4.0L V12エンジン |
総排気量 | 3,929cc |
トランスミッション | 5速MT |
1あああああ
その他にも魅力的なスーパーカーが展示されているので写真のみで紹介させていただく。











1ああああ
出典:1974 Ferrari 365 GT4 BB By Scaglietti | London 2022 | RM Sotheby’s
出典:Lamborghini’s first car, the 350 GT, turns 60