上村恭介の『そのエリクサー、今使え』を購入した。人生の「出し惜しみ」をやめて、今すぐ挑戦するコツとは?
本の概要と著者紹介
まずは本の全体像を。
タイトルにある「エリクサー」とは、RPGゲームで最強の回復アイテムを指す。

ゲームプレイヤーならわかるはずだが、ボス戦で使わず温存し、結局殆ど使用せずに終わってしまう「エリクサー症候群」。
先日エリクサー症候群についての動画が配信され、
この症状を人生に置き換え、「まだ今じゃない」とリソース(お金、時間、エネルギー)を出し惜しみする習慣に焦点を当てている。
著者の上村恭介氏は、クラシカ横浜店の店長。
1年半程前にYouTubeで知ってから、更新動画を見つづけている数少ない登録チャンネルの1つである。
ここ最近で私の中で特に面白かったのがアルファ164の動画で、流石アルファロメオといった感じだった。
クラシカ横浜はクラシックカー(旧車)の販売・整備を専門とし、YouTubeチャンネルでは「クラシカch」で、旧車のレビューや整備録がメインに日産とのコラボ商品やソニーホンダモビリティのAFEELA 1のレビュー、カーデザイナーとの対談など旧車販売店といっても様々なYouTube動画を配信しているのが魅力的である。
動画内のコンテンツも視聴者に見てもらう為の重要なコンテンツではあるが、
私がこのチャンネルを「見つ続けている」理由の1つに、上村さんの「声質」と「話し方」がと思っている。
聞き取りやすいクリアな発音と、どこか落ち着いた低めのトーン。
そこに、誠実さが自然とにじみ出ていて、聞いている側は「この人は本気で話しているな」と素直に感じ取れる。
決して感情を過剰に盛り上げたり、押しつけがましくなったりしない。
言葉を一つひとつ丁寧に選び、謙虚な姿勢を崩さずにしっかりと視聴側に届けてくれる。
そんな話し方が、旧車レビューからAFEELA1 や日産デザイナーとの対談、業界のリアルな話まで、重いテーマでも「攻撃」ではなく「問いかけ」や「共有」として響いてくる理由だと私は思う。
クラシカ横浜チャンネルはただの旧車専門YouTubeではなく、
「自動車文化を真剣に考える場」として、多くの人に支持されているんじゃないか?
と、勝手ながら解釈している。
その上村さんが1月30日に「そのエリクサー、今使え」という本を出版した。

全7章構成で、失意のどん底から這い上がった著者の「考え方」を公開。
机上の空論ではなくリアルな選択の積み重ねがテーマとなっている。
対象者は、決断が遅い人、努力が続かない人、人間関係に不安がある人、今より強くなりたい人、人生の方向性が定まっていない人。
車のメンテのように、人生も定期的に「診断」が必要だと感じる一冊になる。
第一章~第三章/第六章~第七章

内容のネタバレになってしまうので、私の心に響いた章を除き要約させてもらう。
第1章:就職失敗から「日本が好き」と覚醒し、日本を元気にする覚悟を生む
第2章:30代前半の迷い(不惑の逆)と、健康食品受託製造の薄利・長期化の厳しさ。
• 第3章:日本人の慎重さは美徳だが、「石橋を叩くだけで渡らない」現状維持が挑戦を阻害している。ソニー・ホンダモビリティ批判を例に。
•第6章:人間関係の悩みに「大切な人を失った妄想」で日頃の感謝を。
• 第7章:エリクサー症候群が「失われた30年」の原因。住宅・マスタング購入など大胆決断で仕事の質が向上した。「エリクサーを今すぐ使え」と読者に問う。
第4章:モチベーションなど信用するな

効果が表れている時は
パフォーマンスが上がるが、
「ON」でいるべき時に問答無用で「OFF」になってしまうことが
「高いモチベーション」の副作用だ。
自分のやる気次第で悪気なく周囲へ迷惑をかけてしまうことがある。
私が一番気に入った章の1つ。
私自身、フォルクスワーゲンのショップで働く中で、モチベーションが高い日は日常業務がはかどるが、低い日ももちろんあり、そういった日はどうも気分が乗らずに仕事のパフォーマンスも落ちてしまう。
まさにこの章に書かれたいた「ドーピング」の比喩に私自身が当てはまり毎日の気分次第で仕事をこなしていた。
ブログの記事を書いている時にも言える。
「夜にでもネタが湧いてきたら書こう」
「少し休憩して気分が上がったら一気に書こう」
と、思って結局その日は何もやらずに放置…ということも度々ある。
3~4日で1記事を上げるというのも、ここ最近では4~5日のペースになっている。
仕事が忙しかったり気分が乗らない時は、どうもサボりがちになってしまうのはモチベーションに頼っている証拠になる。
悪気はないのに、読んでくれている人や自分自身に「約束を守れない」状態を作ってしまう。
まさに著者の言う「副作用」そのものと思った。
だからこそ著者の上村さんは「習慣化の重要性」として、
「モチベーションに頼らず、ルーチンを築け」と強く提案している。
メリットは本当に明確で、実践しやすい。
例えば、
•毎朝決まった時間に起きて、ブログの下書きを15分だけ書く
•車両返却前には、必ず「傷チェック→交換部品の動作確認→最終試運転」のルーチンを欠かさない
こうした小さなルールを決めて繰り返すだけで、
モチベーションが低くても「やるべきことが自動的に回る」状態になってくる。
•どんなに忙しくてもメカニックだけではなく必ず自分の目で交換した部品を確認し、問題ない事を確認する。
これが続けば、自然と成果に繋がるかもしれない。
車の定期点検と同じで、コツコツやっていれば大きな故障を防げるのと同じ理屈になる。

一方で、デメリットというより「最初は抵抗がある」人も多いかもしれない。
「モチベーションが湧かないとやる気が出ない」というタイプには、特にハードルが高い。
でも上村さんは以下のように述べていた。
「ドーピングに頼るより、地道なルーチンの方が、結局長く続く」と。
ただ私自身、実は一つだけ完全に習慣化できているものがある。
それが毎朝の「筋トレ」で、
仕事に行く30分前に、腹筋・腕立て・ダンベルを各50回。
これを5年以上続けていて、最近は風呂上がりのスクワットも追加した。
30歳を過ぎて代謝が落ち、無駄な脂肪が更につきやすくなり、
今では「やらないと1日の身体の動きが悪い」と感じている。
モチベーションに関係なく、朝起きて歯を磨き洗顔をしたら自動的に体が動くようになっている。
これと同じことを、ブログや仕事の細かい部分にも取り入れたい。
そう思わせてくれたのがこの章になる。
筋トレが習慣化できたんだから、他のことも絶対できるはず。
この章を読んで、モチベーションは「偶然のブースト」くらいに考えて、
日常は「信頼できるルーチン」で固めるのが一番強いと実感した。

第5章:タイミングを支配する

「あの人は器がでかい」
「あいつはそんな器じゃない」
「自分も器の大きな人間になりたい」
どこの組織にも許容範囲が広く堂々としており、
かつ頼りになる人物はいるものだ。
しかし私はこう思う。
器の大きさを気にすることなど全くの無駄だ、と。
そもそも器の大きさなど変えようと思って変えられるものではない。
器の中で収まるかこぼれ落ちてしまうかは
それこそタイミングの差でしかないと私は思う。
著者の上村さんは、上記のように言っている。
器の大きさは変えられない、と。
この言葉がスッと頭に入ってきた。
本当にその通りだなと。
「器が大きい人」には憧れる。
どんなトラブルでも動じず、広い視野で周りをまとめていく姿を見ると、
「自分もああなりたい」って素直に思う。
ただこの章を読んで気づかされたのは、
「器が大きい、小さい」
というの無駄なのか…ということだった。
作中の例題に、
コンビニのレジでご年配の方がカード支払いに手間取っている場面で、結婚式に遅刻しそうな慌てたタイミングならそわそわしてイライラしてしまう。
でも時間に余裕があるタイミングなら「偉いなあ」と微笑ましく思うし、助けてあげたりする。
同じ自分なのに、タイミングで「器の小さな人」にも「器の大きな人」にも見える。
著者の実体験も印象的。
息子と外食した時。お腹が空いていない時は唐揚げを喜んであげられるのに、空腹でヘトヘトの時は「自分のご飯から食べなさい」と冷たく返してしまう。
「器が小さい自分」に自己嫌悪するけど、それは器の問題じゃなくタイミングの問題だと気づく。
器に「空き」を作る

だから上村さんは「器を大きくする努力」をやめた。
代わりに「常に空き容量がある状態」を目指しているという。
スマホの容量に例えて説明しているが、
•大容量でも抱え込みすぎればパンクし、小容量でもこまめに整理すれば問題なく作動する。
要は器のサイズは変えられないけど、空きスペースはタイミング調整で作れる。
朝イチで大事な相談を詰め込まない、軽くお腹を満たしてから人と会う。
そんな小さな工夫で余裕が生まれる。
そして100%正解のタイミングなんて選べないから、迷ったら最短で実行する。
正解率を上げる近道は「早く動く」こと。
「正解のタイミングはわからない。
だから最短で動けばいい」
早すぎて失敗しても、それは縁がなかっただけ。待って動かなかったら永遠にチャンスを逃してしまう。
器は変えられない。でもタイミングは変えられる。
このシンプルな気づきを忘れずに頭に入れておくだけで、
ブログの更新や日常の決断も少しずつ変わっていける気がしてきた。
本書の上村さんの言葉が、きっと背中を押してくれる。
まだ完全に使いこなせているかはわからないけど、この本を読んでから、私の「エリクサー」も確実に使いやすくなった。
そんな実感がある。
1人のYouTube視聴者として手に取った本であるが、内容の深さと普遍性から、誰にでも推薦できる一冊であった。
